【1分要約】熟達論 為末 大 著

仕事
【1分要約】『やり切る ⇒ 行為のみになる体験 = 今を生きる』熟達論

切り込み方が素晴らしいです。”技術はあっても伸び悩んでしまう、(技術もあるかもしれないけれども)自分自身の扱い方が良くわからず、伸び悩んでしまう現象”を沢山見てきた = 自分自身⇔技能のスパイラルが必要、という部分が根幹であることが強調されています。

熟達には、5段階の探求プロセスがあり、一本道ではなく、段階毎に分かれています。学習には多くの矛盾する教えがありますが、それは段階が違うだけであることが強調されています。
「考えるな、言われた通りやってみろ」⇔「自分で考えることが大事」
「量が大事だ」⇔「質が大事だ」
「一人のコーチから徹底的に学べ」⇔「複数のコーチから学べ」

これらは矛盾している訳ではなく、段階が違うだけであることが示されています。具体的には、「遊」、「型」、「観」、「心」、「空」の5段階の説明があり、要点は以下の通りです:

第1段階:遊
すべては遊びから始まる。遊びは感覚的なもので、覚えるものではない。面白がる感覚があることで、探求が続くようになる。

第2段階:型
型を持ては、無意識に基本的な動きができる。意識的に肩を身体に刷り込み、考えなくてもそれができるようになれば、もっと高度のことが行えるようになる。

第3段階:観
観察によって部分に切り分けていけば、関係と構造を理解することができる。構造が理解できれば、見えていない部分が想像できる。視覚のみではなく、全身で観察する。

第4段階:心
心とは中心を捉えることを指す。無意識で中心を取れるようになると、簡単には崩れなくなり、バランスが保てる。細かいことを気にせず自在に動けるようになり、これまでにない自由が感じられていく。

第5段階:空
最終段階では、自我がなくなり、今までの前提が大きく変わる。制約から解き放たれ、技能が自然な形で表現される。体験によってしか知ることのできない未知の世界への到達。

また、本書は、スポーツ選手だけでなくビジネスパーソンにとっても、心と身体の使い方は重要であり、これは単に仕事の成果や出世を超えた「どう生きるか」という生き方そのものに関わる問題であることを示しています。為末大氏は、熟達の最大の喜び勝負の勝ち負けではなく、身体を通して深い理解に至ることにあると述べている。これは頭で理解するのとは異なり、深い腹落ち感を伴うものであると説明しています。

物事を深く掘り下げると、「自分」という存在、今を生きる、すなわち心と身体との向き合い方、そしてその目指すところは宗教の考え方ととも共通する部分があることを説明しています。

まとめ

自分なりの熟達プロセスを明確にすることが重要かと思いました。この本に記載されていること以外にも、更に前の段階で、自分固有の要素もあると思います。例えば私んお場合、
・「遊」の前に、「自己の欲求」
自分でやりたいと思っていることなのか
・「自己の欲求」の前に、「自由」
自分で判断できることがないと興味がわかないので、そもそも自由があるのか
・「自由」の前に「環境」
自由な環境に身を置くと、色々と見えてくるので、興味・欲求が生まれる。

こんな感じで、自分なりの要素を含めて、カスタマイズすると、熟達に向けた道が開いていくと思います。

また、『今を生きる』ことを深く理解できる、経験に基づく、極めて深いメッセージが込められていると感じました。心と身体の使い方が、仕事の成功を超えた深い「生き方」に直結する、という部分、今後に活かしていきたいと思います。

『やり切る ⇒ 行為のみになる体験 = 今を生きる』

私の経験上、空を体験しても人生が劇的に変わるわけではない。元々のままに人生をまた生きるだけだ。空には教育的効果はない。今までと同じようにうまくいかないことに苦しみ、今までと同じようにサボりたいなという気持ちが芽生え、今までと同じように未来を憂う。(中略)だが、一瞬でも主体となる自我がなくなり、行為のみになる体験はリアリティを変えてしまう。『今を生きる』ことが身体的にわかるようになる。(中略)私は『空』を体験し、なるようにしかならないし、それでいいではないかと思うようになった。決して何をやっても無駄だと投げやりになったわけではないが、起きる出来事に対しただ対応していくのだという受動的ながら静かな気持ちになった。自分の想像の範囲などあまりにも小さいと思ってしまったからだ。私にやれることを私なりにやっていく。目指すもののために今があるのか、今のために目指すものがあるのか、それもよくわからなくなったし、どうでもよくなった。私が生きているのは『今』のみである。

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